旗の問題 その1

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 これはもっと早めに取り上げるべきトピックだったように思う。なぜならばここシャーロットは旗の問題の影響をモロに受けている地域だからだ。
 言うまでもなく、ここで言う旗とは南部同盟旗(Confederation Flag)のこと。左隅に寄せ集められた星と残りの部分の赤白ストライプの合衆国旗と違って、同盟旗は赤地に青の斜線が交差し、その青地の部分に同盟側の州の数だけの星がちりばめられたものである。これは南北戦争(Civil War)における南軍の象徴であり、また黒人にとっては忌まわしき奴隷制の象徴でもある。そしてこの旗は南北戦争の100周年を記念した1962年にここから車でわずか1時間のサウスカロライナ州の州都コロンビアの州議事堂の上に高々と掲揚され続けている。
 この旗を巡って、特に今年に入ってから、様々な問題が起きてきている。1月15日はアメリカではマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の誕生日とされていたが、この日にはコロンビアのNAACP(全米有色人種協会/有色人種といっても大多数は黒人である)が同盟旗を議事堂から下ろすように大規模なデモ行進を行った。
 それ以上に影響を受けているのはスポーツ事業だ。テニスプレイヤーのヴィーナス・ウィリアムズはサウスカロライナで行われるゲームを旗の問題によりボイコットし、またNCAA(全米大学体育協会)も旗を議事堂から下ろさない限りサウスカロライナ州に関しては何らかの制裁を加える(NCAA主催の大会の不開催等)と強硬な姿勢を見せ、最近ではサウスカロライナで開かれたスポーツイベントに関して、宿泊をここノースカロライナのシャーロットでするチームも見られた。サウスカロライナ州にイベントに付随した収益を得させないためだ。
 こういった反対運動は金銭的にもイメージ的にもサウスカロライナ州に打撃を与え、サウスカロライナ州議会は決議により旗を州議事堂から下ろすことを決議、以後同盟旗は南軍戦士の記念碑(これは一般の場所からあまり見えないところにある)にひっそりと掲揚されることが決まった。
 この同盟旗の処遇については今現在でもサウスカロライナ州の右派の州議員の中には「同盟旗はあのままにしておくべきだった」と南軍万歳を叫ぶ者もいる。ソフトな論調で言えば、南部というのは見方によっては「唯一の負けたアメリカ」と取ることが出来る。南北戦争後、南部は敗戦地域として北部によって圧倒され、その歴史は「恥ずべき歴史」として抑圧を受けてきた。
 それが大体1980年代に入ってからだろうか(もっと前からかも知れないが、少なくともWOGが知っている限りではこの辺り)、「戦前の南部の素晴らしさを認めよう」とする動きがアメリカ国内で学問分野を中心として起こった。確かに南部は奴隷制が認められ、貧富の差が激しかった一方、奴隷主である富裕層の蔵書数と言ったら、個人の蔵書数で言ったら世界でも有数だった。そしてその教養をベースに物された南部文学や学問研究はただ「負けたから」と言って抹殺され得るような卑小な存在ではない、というものだ。因みにノースカロライナ大学群はチャペルヒルを中心にしてどこに行っても歴史学科や英語学科は南部研究のメッカみたいな性格を持っているので、WOGは否が応でも(別に嫌なわけではないが)南部研究とは関わらずにはいられないのである。WOGとしてはGilded Ageの都市のポップカルチャーの研究をしたいのだが・・・(苦笑)。
 閑話休題。ともかく、南部研究の発達は南部の人々に自分たちが南部出身であることに確固たる自信を与えたことは明らかだ。しかしながら、その中でも南部に関して誇りに思うことを履き違えた人々が出てきてしまった。先述した右派の州議員の人々などは良い例だろう(というか、南部においては右派はいつだって同盟万歳を叫んできたのだが、それがクローズアップされてきた、という意味で)。しかももっと事情の悪いことには、サウスカロライナというのは南北戦争の南軍の中心地であったと同時にNAACPの活動が最も盛んな州のひとつなのだ。奴隷制が施行されていた時代からサウスカロライナは黒人の対総人口比率が非常に多い州だった。そのような州の、そのまさに象徴たる議事堂の上に黒人抑圧の象徴である同盟旗を掲揚し続けるということが、サウスカロライナの黒人にとってどれだけ精神的に苦痛であるかは察して余りあるものがあろう。
 確かに負けたからと言って全てを否定してしまうのは、あまりに短絡的過ぎる。なぜならばそれは間違っていたとは言え、ある時期は立派にシステムとして機能していたからだ。ドイツの歴史を紐解いてみれば、高速道路であるアウトバーンがヒトラーのナチズムの時代に整備されたものであることが容易に発見できるだろう。あのような国中を網羅した高速道路の建設はヒトラーのような強烈な国家支配がなければ実現不可能だった。しかし、それを認めたからといってそれはハーケンクロイツを自らの頭の上に掲げるということとは違う。歴史を認識するということと、政治的姿勢とは別物にして考えなければいけない。

(その2へ続く)

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