たばこ

10/27

 どうやらジオのサーバーがまたもやハデに落ちてしまっているみたいだ。10月に入ってからこれで2回目。一体原因はなんなんだ。あそこまで利用者とページビューが多い所なんだからいい加減その辺の管理をしっかりして欲しい。
 かくいうこのページもジオに載せているわけだが、より需要が多い=マニアックなバスケページの方をいい加減別の安定の良いサーバーに移した方がいいかもしれんとも考える今日この頃。
 とまあ何だかんだ言っておきながら、実際にはちょっと油断すると2週間だの3週間だのは簡単に過ぎていってしまうのの照れ隠しだったりして。更新を怠けているのがモロバレである。この状態をなんとかせんとイカンと思うのだが、どうもダメだ。インターネットは毎日ジャンキーのように見ているのだが、いざ自分で作るとなると腰が重くて仕方がない。
 これはホームページを経営している人だったら誰でも判る実感なのだが、更新をちゃんと続ける、というのは簡単に見えて実はとても面倒くさい作業なのだ。このページのように画像データが一切なし、とかであれば作業は簡単なのだが、凝ったつくりのページにしようと思うとHTMLファイルを編集したり、サーバーに上げたりするのには非常に時間がかかる。WOGなんぞは適当に本業をサボりながら(おい)作業しているからまだ時間にゆとりがある方だが、ちゃんとした真っ当な仕事を持ってらっしゃる方など、WOGから見れば一体どうやって更新する時間を作っているんだか、本当に頭が下がる思いだ。だから、ROMってるだけの人や掲示板に書き込みするだけの人は経営者の神経のすり減るような作業をもっとちゃんと判って欲しいよな、とかも思ってみたり。

 前置き(というか愚痴)が長くなったが、今回はどうしても書きたくて、でもチャンスがなくて書けなかった話。
 知っている人は知っているのだが、WOGは極度のタバコアレルギーである。タバコの煙であれば大体半径3メートル以内なら完璧に、そして風向きとかにも寄るが、10メートル先のタバコの煙ですら感知することができる。元々気管支が弱い質(風邪をひくときは決まって喉が一番最初にやられる)だったのだが、婦人病を患って漢方治療を受けている間に体質がどんどんタバコに対して敏感になっていってしまい、現在に至る。昔は煙のもわもわ立ちこめる居酒屋とかでも平気で入ってバカ笑いしていたのに、今ではもうそれは不可能。酒は大好きなのに、居酒屋に入れないとはコレ何事ぞ(号泣)。
 こんな私なので、日本の喫煙者の多さは本当に閉口してしまう。オフィスでも喫煙を徹底しているところは本当に少ないし、WOGが所属していた大学なぞはタバコを吸いながらの研究授業など当たり前の世界で、本当に肩身が狭くて仕方がなかった。あと2年もすればWOGは日本に帰ることになるのだが、何よりも辛いのはこのタバコの問題なのだ。
 因みにこちらでは建物内での喫煙は殆どの所で禁止されている。というか、逆に建物内で喫煙を許しているところを探す方が非常に難しい状態だ。まぁ、もちろんナイトクラブやバーなどではまだ比較的喫煙が許されているが、そのお陰でWOGは夜遊びが出来ず、必然的に非常に健全な生活を送ることが出来てしまっている(苦笑)。WOGは夜遊び、嫌いではないのに・・・。
 ノースカロライナはタバコの特産地なために結構喫煙者が多い方だとは思う。しかし、こんなところでもショッピングモールで喫煙が許されているのはレイノルズの本社があるウィンストン=セーラムだけだ。日本のように、殆どのレストランで自由に喫煙が出来るというのは、こちらにとっては考えられない。州によってはレストラン等の40席以上の収容人員の施設は一切喫煙というところもある。
 日本でも法制度が整備されて禁煙禁止のところが少なくなってくれればこういう体質を持つWOGにとっては本当に有り難い話だ。しかし、それよりも言いたいのは、法制度云々よりも日本人一般が多く持っているモラリティに関して、つまり「タバコが苦手な人を差別するな」ということだろうか。
 これは同様に「酒が飲めない人を差別するな」ということにもつながる。日本の会社社会というのは「酒が飲めなければ人間関係が円満にならない」と思っている輩がまだ沢山存在する。しかし日本人の中には本当に体質的にアルコールが受け付けられない人が存在するのだ。アルコールは人体に非常に有害なので口を経て摂取されるとそれはまずアセトアルデヒドとよばれる物質に変えられる。酒が飲めない人はこの「アセトアルデヒド分解酵素」を体の中で作り出すことが出来ない人なのだ。
 それなのに、日本の会社社会は「酒が飲めてなんぼ」が未だにはびこっているし、ついでに言えばそういう宴会の場所こそ本当の会社の「政治」が行われている場所なのだ。これではいくらその会社に貢献しようと思っていても酒が飲めない会社員は出世の話にすら参加させて貰えない。
 話をタバコに戻すと、「タバコの煙ぐらい我慢できずに社会で生活なんてできない」と未だに思っている人が余りにも日本は多すぎる。これは本当に悲しく残念なことだ。しかも私のような「若い女性」がオヤジ連の集まっている会合などで「タバコは頼むからやめてください」と言うと、「非喫煙者差別」に「女性差別」も相俟って「何を小娘が偉そうに」という目で必ず見られる。だってこれは体質なんだ。別に反抗して言っている訳ではなくて、本当に辛いのに、それがどうしてこんな目で見られなければいけないんだ。
 はっきり言うが、WOGは日本人のこういう「大勢に反抗するように見える人を忌み嫌う態度」というのが一番嫌いだ。別に私のようなタバコアレルギーがいないところで彼らが何をしようが構わないが、私という一個人がいて、その個人がそのことによって苦痛を被っているというのが「多数派の論理」で踏みつぶされてしまっているのだ。大勢がやってるんなら少数派は文句を言うな、というのが見え見えで、本当にうんざりさせられる。
 勿論アメリカだって多数派の論理が罷り通っていることは間違いない。だが、それと同じぐらいに、少数派や障害を持っている人に対しての個人レベルでの気の遣い方が全く違うのだ。こちらではどんな人でも「私はタバコアレルギーを持っているから吸わないで」と言えば「あ、本当にごめんなさい」と丁寧に謝ってくれる。謝りどころか、侮蔑の視線を投げかける日本とは大違いだ。
 日本政府はバリアフリー、バリアフリーと法制度上の充実を目指して福祉問題に取り組んでいるが、こうした一人一人の個人レベルでの精神的なバリアフリーが達成されるまでは、いくら入れ物だけを充実させてみたところでどれほどの効果があるのだろうかと首を傾げたくなる。

 それにしても往来で歩きタバコをしている人とすれ違うのは本当に辛い。これは補聴器をつけている耳の不自由な人が携帯電話の音に悩まされているのに非常に似ている。(ご存知ない方もおられるかも知れないから言っておくが、補聴器をつけている人にとって、携帯電話の電波や音や話し声は本当に苦痛なんだそうだ。) それでも彼らは一応補聴器という形で外にも判るようになっている。一方、私のようなアレルギーだとはっきり目に見えて「アレルギーだ」という徴すら見せられない。やはり、いざとなったら「私はタバコアレルギーですので喫煙者は半径3メートル以内には近づかないで下さい」という看板でも下げるしかないのだろうか(苦笑)

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