2003年02月13日(木)  Godzilla has landed in New York
 元巨人、現在NYヤンキース所属の松井に関する報道合戦は、どうやら日本だけの現象ではないらしい。
 勿論、日本の場合、過去の「敗戦国」というレッテルから、「日本はどうやったって外国の文化からは取り残された国だ」という自虐的な感情から、「外国の地で活躍する日本人(これが『日系人』ではないことに注意されたい)」という題材には飛びつく習性を持っている。しかし、それにしても、現在のアメリカ合州国本国での松井の異常な取り上げ方は、一日本人として過剰の意を禁じ得ない。大体、今までのアメリカ合州国だったら、「本国での成績は輝かしいが、アメリカ合州国での業績は皆無」というようなプレイヤーをDavid Letterman ShowのTop10にゲストで呼ぶような真似をするだろうか。
 私は現在日本に在住してはいるが、アメリカで放映されたESPNのSports Centerをそのまま視聴できる、という環境にいる。これは幸運なことでもあるが、同時に、アメリカのスポーツメディアの松井に対する加熱ぶりを捉えることが出来る原因にもなっている。
 今日も今日とて、スポーツセンターは松井のキャンプインの情報に「貴重なスポーツセンターの時間」(注*アメリカのスポーツ専門CATV局ESPNにとってスポーツセンターは看板番組なのである)の何分かを割いて報道していた。「アメリカでの業績」という枠で考えた場合、松井は野茂以下の活躍すら遺していない。しかしながら、彼は「ニューヨークのゴジラ」として大々的に報道されているのである。

 この報道姿勢を見て、私はあることに気付いた。つまり、それがあまりにも「ヤオ・ミンのNBAでの活躍」と「レブロン・ジェイムズの高校バスケットでの活躍」の報道と似通っている、ということである。

 ヤオ・ミンと松井の(アメリカ人にとっての)共通点といえば、まず「地球の裏側の遠い国から来たアジアの素晴らしいアスリート」という点が浮かび上がるだろう。実際、ヤオ・ミンのドラフト一位指名の時にはNBA(というかTNT)のスタッフが上海まで行き、ミンの栄えある一位指名の瞬間を中国からリアルタイムで放送していた。その後、NBAでプレイを始めるようになっても、ESPNを始めとするスポーツメディアはミンの現在所属しているヒューストン・ロケッツのゲームの報道の際には必ずといっていいほど、ミンのスタッツを表示するようになっている。通常、ESPNのスポーツセンターなどの表示ではそのゲームで最も活躍した選手のスタッツが表示されることが半ば不文律のように決まっているのであるが(注:マイケル・ジョーダンなどの「名の通った」プレイヤーは除く)、ミンはその不文律をやすやすと通り越し、毎回のように(いくら成績が悪かったとしても)、スタッツが表示されるプレイヤーとなっている。これは『業績第一』と考えられていた今までのアメリカ社会では起こり得なかったことではないだろうか。(注:勿論、私はミンのバスケットボールプレイヤーとしての素晴らしい素質や、7-5という長身に似合わない軽やかな動きを過小評価する訳ではない。しかしこれまでの一般の『英語を話してアメリカ社会に馴染まなければ仲間ではない』というアメリカ社会での「常識」に注目した発言だと理解して欲しい)
 レブロン・ジェイムズは、アメリカの高校バスケットボールの世界に馴染みのない人々にとっては聞きなれない名前であろう。実際、彼はまだ、高校の最上級生でしかないのだから。しかし、ESPNは彼のゲームを一試合一試合、克明にレポートし、全米でも名の通った有名校であるオークヒル・アカデミーとの対戦では解説にビル・ウォルトンやディック・ヴァイタル、ジェイ・ビラスといったNCAAでも有数の解説者を送り込んで放送していた。それはまるで「ジェイムズのためにゲームがある」ような報道姿勢だったのだ。その放送がなされた後も、ESPNを始めとしたスポーツ局は彼の出場するゲームのハイライトを流すことを忘れず、また、彼に関するスキャンダル、彼に対するプロ選手からの意見などを次々と流す有様である。ニュースだけを追っていると、まるでジェイムズが既に高校生にしてNBAチャンピオンを獲得したプレイヤーであるかのような加熱ぶりなのだ。

 さて、この三人に関する異常なまでの過熱報道にどういった共通点があるのか、といえば、まず「それまでESPNの報道対象外だった世界を代表する人間である」ということ。ミンも松井も、中国のバスケットボールなり、日本の野球界なりを代表する人物ではあるが、いわゆる「白人中心主義及びヨーロッパ崇拝型の白人中産階級」が大勢を占めると見られているアメリカ人スポーツファンにとっては「眼中にない」扱いであった世界のアスリートである。また、ミンも松井もジェイムズと同じく「それまで扱うのはタブーであった世界」のアスリートでもある。
 これが一体何を意味するのか。
 それはとりもなおさず、アメリカ国内でのスポーツメディア界での「アメリカ合衆国一国絶対孤立主義」の崩壊なのではないか。
 つまり、それまでのアメリカ国内では「プロスポーツ」と言えば、アメリカ国内(もしくはカナダからのプレイヤー)だけで構成されたチームのプレイヤーによる試合の報道」という不文律が成立していた。NCAAカレッジバスケットボールにしても、そのチームの中にはヨーロッパなどからの留学生プレイヤーがいるにも関わらず、その所属チームの地元志向を重視した放送になっていた。
 しかしながら、現在ではそのような報道は既に成り立たない。例えば、その昔はNBAプレイヤーと言えばNCAAプレイヤーの優秀な人材をヘッドハンティングして引き抜く(=アーリーエントリーさせる)ことによって人材確保がなされていたが、今やコービィ・ブライアントやケヴィン・ガーネットら「大学バスケットを経ずしてNBA入りしたプレイヤー」や、ストヤコビッチやイルガウスカスなどの「海外から直接NBA入りしたプレイヤー」がNBAの舞台で華々しい活躍を遺している。野球の世界を見ても、ペイドロ・マルティネスやサミー・ソーサと言った(アメリカ人にとっての)「外国産」が幅を利かせる時代になってきている。これらの現象から「素晴らしい人材を自家養成する」ことの限界を感じ取ってもおかしくはないではないか。(注:現在のESPN Sports Centerはまるでその穴埋めをするかのように、アメリカにはなじみのないラグビーやハンドボール、クリケットといった「海外スポーツ」の様子を流そうと躍起になっている)
 乱暴にまとめてしまえば、アメリカのスポーツメディアというのは、今になってようやく「世界のスポーツ界をアメリカ一国の出来事で語らせることの困難さ」、「MLBの決勝戦をWorld Seriesと言ったり、NBAの決勝戦の勝者をWorls championと言ったりしていることへの欺瞞」を実感し、これからアメリカ政府が行おうとしているイラク攻撃への皮肉な反証ともなるのではないか。
 勿論、現在日本でアメリカの対イラク戦に対する報道だけにしか晒されていないような人々にとってはアメリカ人とはイコール「ブッシュのような典型的な保守主義者」でしかないだろう。しかし、このESPNの態度の変化にもみられるように、アメリカに関する、日本で報道されない部分での変化は微妙に始まっていると考えてもよいだろう。
 日本に在住している人には、「アメリカ人=ブッシュ」などという短絡的な図式を持って欲しくない、と願うばかりだ。日本人にだって極左から極右までいろんな人が集まっているように、アメリカ人だって、いろんな人が存在している、ということに気付いて欲しいものだ。

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