2003年02月19日(水)  終電に揺られながら
 私はあまり夜遊びをしない。理由は至極簡単で、日本国内で夜遊びを出来るような場所には大抵タバコの煙があるからである。タバコによる化学物質過敏症患者にとっては何とも生きにくい国である。
 そんな私が先日、知人の家でご馳走になって、その後酒を交えた世間話をしていると、終電で家に帰る羽目になってしまった。
 そこで私は10年前の東京の終電とは明らかに違う光景を見た。
 10年前の日本だったら、終電といえば、遊び疲れた学生やサラリーマンが酔っておぼつかない足取りでだらしなく椅子にもたれ座っている姿をよく見かけたものだった。
 それが、2002年の暮れに私が目にした終電の客は、どう見ても勤め帰りとしか思えないベージュのコートにスーツ姿のしらふの会社員(黒のかばんはきちんと手入れされている)の群れだった。彼らは深夜11時半を過ぎているにもかかわらず、仕事の話を同僚と真面目に話し合い、一方が下車する時は礼儀良く挨拶を交わしていた。 そうして勤めを終えた彼らは、ゆっくり寝ている暇もなく翌日の遅くとも8時には起床して都心の会社に赴かなければいけないのだ。バブル景気に浮かれて足元を見失っていた頃の人々の姿も異様だったが、ここまでして会社勤めを強要される現在の人々の姿は日本の深刻な不況を目の当たりに見てしまったようで、何とも言えなくなってしまった。
 企業のリストラが次々と行われている現在、首を切られた会社員は勿論、残った社員もカットされた社員の分の仕事まで回され、賃金が一切なしのサービス残業を夜遅くまで強要されているのだ。どう考えても労働基準法違反としか思えない状況が、今日本のあちこちの会社で起こっているのだ。
 今日も夜9時半過ぎにバスに乗ったが、非常に混雑していた。普通の仕事だったら5時に終わるはずで、単純に計算すると、7時にはバスに乗れている筈である。にも関わらず、9時半にここまで混んでいると、一体このうちのどれだけの人がサービス残業させられているのだろうか、と身震いしたくなってくるのである。
 日本の経済を押し上げ、支えてきたのは、いうまでもなく会社員にとって会社は何でも面倒を見てくれる代わりに、一生勤めることを期待する「御恩と奉公」の関係だろう。しかし、この特異に日本的な「御恩と奉公」関係は、サービス残業という、作業効率の点からみても悪癖としか思えないようなものを生み出してしまったのではないか。
 高度経済成長を支え、担って来た旧世代にとって「成功のモデル」というのは、間違いなくこの「終身雇用で、会社が社員の生活を丸ごと面倒を見る制度」であろう。しかし、私にいわせれば、「あるモデルで成功した世代」というのは、それをいつの時代でも適用できる、という錯覚に陥っているような気がしてならない。確かに高度経済成長時代には「パパが働き、ママは団地で家事とボクの面倒」というモデルが成立し得たが、それは、次の世代には教育費の高騰による女性のパート労働の増加を促し、また、そのような手厚い教育を受けた子どもは男女平等に目覚め、性別役割分業に異を唱え次々と「サラリーウーマン」を生み出した。現在、気が狂ったように「少子化」が叫ばれているが、こうしたサラリーウーマン層が出産のために仕事を辞めさせられることなく生活できる環境が完全な形で用意されない限り、日本の女性はますます子どもを産むことがなくなるだろう。
 十年前の『政治経済』の教科書に載っていたような「日本的経営」は今や行き詰まりを見せている。この経営態度を変えない限り、日本はいつまでも終電でくたびれ果てた会社員を量産させつづけてしまうのではないだろうか、と私は思った。 


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