2005年01月30日(日)  祖父の写真
 昨年11月のはじめ、祖父が他界した。
 91歳という高齢ということもあり、大往生と言えるだろう。

 4年前に逝去した祖母(母の母)の葬儀に留学中で参列できなかったこともあり、祖父の葬儀ではなるべく周りのことに気を配って参列してくださった方々に対して接したつもりである。

 もともと、この祖父は母方ということもあり「本家」でないということで、私の家族は葬儀を取り仕切る家ではない。

 しかし、祖父にとっては長男の嫁よりも母の方に対して、自分の娘として本音で話せる間柄だと感じていたようだ。また、母のほうも、祖父のことは父として尊敬し、いろいろと共通する話題を持っていた。

 4年前に祖母が亡くなるまでは、母の実家では駄菓子屋や塩・タバコ・切手等の専売店としてその集落では唯一の商家を営んでいた。
 
 「出店」と近所の人に親しまれていたその店には、畑仕事を一休みしに来た近所の人々が、店番をする祖母と火鉢を囲んで話をしに集まってきた。また、そのころまだ河原を格好の遊び場にしていた子供たちは、親から貰った100円硬貨を片手に「何を買おうかな」とケースの中のお菓子たちを品定めしていた。

 誰あろう、私もその中の一人で、母によく連れられてはお菓子を買って喜び、近所の人々の憩いの場となっている「出店」の光景をよく目にしたものだった。

 しかし、4年前、祖母が入院したのを機にこの「出店」のシャッターが再び開けられることはなくなってしまった。そして、かつてそこによく聞こえた近所の人々の笑い声が聞かれることもなくなってしまった。今では店の前に置かれた2台の自動販売機が無機質な機械音を出しているのみである。

 祖母が亡くなった後、祖父はめっきり元気がなくなった。「出店」も閉め、更に自動車の免許の更新もやめてしまったために、彼は新しく隣の土地に建てた新しい家の奥座敷のベッドで日がな一日過ごすことが多くなった。近所の人も、そしてうちの母も、気軽に出入りできた「出店」と違い、やたらと威圧的な家構えをした新しい家に出入りすることは遠慮されたのであろう。祖父への訪問者もひとり、ふたり、と少なくなっていった。

 私が最後に生きている祖父に会ったのはもう2年も前になろうか。ベッドに横たわりながら、めっきり憔悴しきったその姿に、昔よく軽トラックを運転して柿やら米やら(そして時々は私やいとこ達も)を荷台に載せて颯爽と走っていた面影はもう無かった。そのときかもしれない。「ああ、もうおじいちゃんは長くないかもしれない」と思ったのは。

 そして、昨年11月、肺炎をこじらせた状態で祖父はこの世を去った。それは母にとっては、自分が心のよりどころとする人を亡くし、そして同時に「実家を出てしまった娘」として「二度とあの家に近づくことが出来ない」と思わせた出来事だった。経文が唱えられている間、母は傍らで何度となくハンカチで目を覆い、出棺の時には妹に支えなければいけないほど泣きじゃくり、何度も「おじいさん、おじいさん」と故人の顔を見ては涙をこぼしていた。

 葬儀が終わり、母は本当に実家(正確には現在は伯父の家)に行くことはなくなってしまった。そこにはもう、火鉢の周りで座っているおばあちゃんも、ナスやキュウリを山ほど抱えてトラックで店の前に乗りつけたおじいちゃんもいない。

 そんな時だった。東京のマンションに戻った私が写真を整理していたときに、スライドフィルムで撮影した在りし日の祖父の写真が2枚、出てきたのだった。

 1枚目で祖父は「出店」のあがりはなに腰を掛け、優しい視線でこちらを見ていた。幾多の戦乱を経験した皺が刻み込まれた祖父の顔は、しかし、とても落ち着いて優美に映っていた。

 2枚目の写真では祖父が「出店の火鉢」を挟んで母親と喋っている様子を納めたものだった。そこには「出店」にあったいろいろな昔のそろばんやら、はかりやら、沢山の思い出が詰まっていた。

 私はこの2枚の写真をプリントに出し、2枚が収まるフォトフレームを買い、母親に贈った。もはや自分が生まれた場所に自由に訪ねることが出来なくなってしまった母親に対して、娘としてせめてもの思いやりを伝えたかったのだ。

 母から電話がかかってきたのは、今日の午前のことだった。
 母は、とても嬉しそうな声で、あの写真が撮られた時の様子を思い出しては語り、「ああ、これが撮られてからたった5年とちょっとしか経っていないのね…」とその間に起こってしまった色々なことを噛み締めている様子だった。

 そして、最後に母は私にこういった。

「ありがとうね」

 私にとって、この一言は、本当に嬉しかった。生みの親を亡くした母の寂しさを少しでもこの写真が癒してくれるのなら、私は母が産んでくれた娘として、これ以上の喜びはない。

 そして今、私の東京のマンションの本棚には数々の写真と共に、祖父の写真が飾られている。落ち着いた表情でカメラに視線を向ける祖父は、まるで私を見守ってくれているかのような気がするのだ。


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